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11月5日成道会法要 更新
福岡市中央区今川2丁目3番23号
金龍寺、福岡、今川 | 耕雲山金龍寺のご紹介 | 日本
境内
山門
江戸期・正保4年(1647)金龍寺移転・再建当時より現存する山門(寺院の正門)です。寺院は本来、山に建てられ山号を付けて呼んだ名残りで平地にあっても山門と云います。金龍寺山門は南向きにあり、旧唐津街道に面した正式なお寺の入り口です。正面には「耕雲山(三十六世呼雲龍光筆)」の山号額が掲げられています。耕雲山と云う山号の由来は、中興開基である高橋伊豆守匡順元和九年寂(1623)の法名「畊雲道牛居士」より名づけられましたが、「耕雲」とは「釣月耕雲慕古風(道元禅師)」や「耕雲種月起家風(大智禅師)」という禅語にあるように仏道修行の生活を精進し、世俗を超越して悟りの堺涯を得ると云う意味です。
貝原益軒公 墓所・銅像
貝原益軒は江戸時代の寛永七年(1630)年、福岡に生まれた。「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編纂。70歳で役を退いてからは著述業に専念するようになり、60部270余巻に及ぶ著書を残した。
【銅像台座碑文】
樸陋之質
素朴でしかもいやしい性質で
衰朽之軀
なお衰え果てたこの身体
引鏡窺影
鏡を引きよせて自分の姿を見ると
彷彿画図
自画像そっくりに似ている
玩古不倦
昔の事ばかり学んでも飽きるがない
至老増娯
年老いて増々楽しんでいる
千慮有得
愚者も千慮すれば一得ありと云うが
斯語庶乎
この言葉は私にあてはまるであろう
仁王像
阿吽(あうん)の2体の仁王像(金剛力士像)は、仏教と伽藍(建物)の守護神です。1体は「阿形」で口を開け、1体は「吽形」で口を閉じています。怒った顔をしていますが、これは外敵=仏敵を防ぐ為ですが、悪い心を戒めて正しい行いをしなさいという意味でもあります。
サービス
沿革
◆開創/ 永正5年(1508)
◆開山/ 桃岳瑞見大和尚
(永正15年寂 1518)
(山口市瑠璃光寺3世)
◆開基/ 高祖城主 原田弾正弼興種
◆中興開基/
高橋伊豆守匡順
元和9年寂(1623)
◆宗派/ 曹洞宗
◆本山/ 大本山永平寺(福井県)
大本山總持寺(横浜市)
◆本尊/ 釈迦牟尼佛
◆御本寺/ 瑠璃光寺(山口市)
◆御末寺
糸島市/ 般若寺 喜久寺 龍国寺
桂木寺 聖種寺 長音寺
福岡市/ 永福寺 慈眼寺 金狻寺
北九州市/吉祥寺
福津市/ 長谷寺
会社情報
1508年
1518年
1623年
1647年
開創
開山
中興開基
現在地に移転
本堂
本尊
本尊
釈迦牟尼佛
桃岳瑞見大和尚禅師
金龍寺開山
備後(広島県)の人。全巖東純大和尚(1495年寂)に師事し、法をつぎ瑠璃光寺(山口市)三世に住した。永正五年(1508年)に筑前怡土群高祖城主原田氏の帰依を得て、金龍寺開山となる。その後、弟子慶庵瑞賀大和尚(永正十七年寂)(1520)に住職を譲り、瑠璃光寺に帰山す。永正十五年(1518)示寂。毎年五月二十一日のご命日には開山忌法要が盛大に執り行われています。御木像は、開山堂(非公開)にてお祀りされています。
開山忌
令和元年
実績紹介
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